No.CFNH(G)-0018_2
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1946年(昭和21年) 05月16日公開
食糧増産の苦闘も空しい 足尾鑛毒の害
明治24年頃、田中正造翁が直訴して争い続けられた、足尾銅山鉱毒問題が再び注目された。
これは戦時中の資材・労働力不足から中和施設が不備となり、再び鉱毒が渡良瀬川に流れ込んだためで、下流の6,000ヘクタールあまりに被害が発生した。
昭和49年5月11日、公害等調整委員会で補償が決まるまで争いは続いた。
内容:
再び鉱毒を下流に流した古河鉱業足尾鉱業所の全景。
堤防ぎりぎりまでに達した鉱さいと渡良瀬川、鉱毒の流れこむ農業用水と鉱毒のため育たない麦畑。
群馬県山田郡毛里田村の被害を視察する北野県知県(4月27日)。
農民から作物を受け取り見つめる知事。
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