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1951年(昭和26年) 07月31日公開
講和を控えて
対日講和条約調印会議が、1951年9月4日から、サンフランシスコで開かれることになり、昭和26年7月20日、米政府から関係国に招請状が送られた。
吉田首相ら政府首脳は、与野党を含めた「講和全権団」の人選を進めていたが、全面講和を主張する社会党は「全権団」への参加を拒否した。
一方、ソ連、中共地区の未帰還者の留守家族の不安は深刻で、引き揚げ促進を訴えていた。
内容:
講和会議招請の情報を打つテレックス。
講和会議会場となる、サンフランシスコのオペラハウス(スチール写真)。
「講和成立」にむけて、祝賀のための装飾用品を売る東京の店。
講和を祝う、飲み屋の看板。
奄美大島復帰を願い、昭和26年7月26日、東京渋谷駅前で行われた、署名集め。
7月23日、東京神田共立講堂の、全国留守家族大会々場で、未帰還者の引き揚げ促進を訴える留守家族。
国会へ陳情に向かう参加者。
7月24日、社会党本部を訪れ、全権団参加を要請する、自由党増田甲子七幹事長。
7月25日、中央執行委の後、「全権団」への参加拒否決定を発表する、浅沼稲次郎書記長。
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