No.TS-211
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1944年(昭和19年) 12月31日公開
戦艦武蔵撃沈
8月23日早朝、パロアに向かっていた米潜水艦2隻が日本の軍艦を発見。
潜水艦の望遠鏡を覗く米兵。
潜水艦より発射される魚雷。
日本軍の軍艦に魚雷の標準を合わせる米兵。
3隻の日本軍巡航艦に魚雷発射し、2隻を沈める(海軍の戦闘史上忘れられない戦闘の1つ)。
日本軍の攻撃に備えフィリピン沖で待機する米海軍第3艦隊の軍艦とフィリピン中部の説明地図。
レイテ湾の入り口と海軍を守る米海軍第7艦隊の軍艦とレイテ島の説明図。
8月23日と24日、2組の日本海軍の軍艦がレイテ島の米軍めがけて進行:その説明図。
迎え撃つ米軍機。
10時20分に米軍機が日本艦隊を発見、直ちに攻撃。
日本軍を攻撃する米軍機(250機が参加、5時間にわたり攻撃)。
3時30分日本の軍隊撤退。
戦艦武蔵は米軍機の攻撃で撃沈。
海上で味方船舶に救助される艦隊武蔵の生存者。
レイテ沖海戦の日米海軍の行動の説明図。
スリガオ海峡海戦では日本軍完敗。
スリガオ海域などの説明図。
しかしサンベルニード沖より襲ってきた日本海軍の主力艦隊は米軍の4隻の輸送船や駆逐艦を撃沈する:場所の説明図。
ホーセイ監督指揮下の第3艦隊は日本のおとり軍艦を追って北方へ向かう。
ホーセイ監督。
望遠鏡を見つめるホーセイ監督。
8月25日朝、サマール沖海戦で勝利した後、米軍は更に日本の艦隊を探し続ける。
8時10分米軍機が日本の軍艦を発見、10時間で日本の航空母艦を沈める。
他のおとりの日本の軍艦は逃亡。
ホーセイ監督指揮下の米艦隊は南方へ向かったが遅すぎた。
後退する日本の軍艦。