No.CFNH(G)-0019_1

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1946年(昭和21年) 05月23日公開
食糧難突破に起ち上る民衆
メーデー後、都内各地で「米よこせデモ」があい次ぎ、昭和21年5月19日の食糧メーデーへと盛り上がっていった。
5月12日、世田谷区民のデモ隊が初めて皇居の中に入り、「ナンジ人民飢えて死ね」のプラカ一ドが、不敬罪論議をも呼んだ。
これらデモの激化をみてマッカーサー元帥は、5月20日「暴民デモは許さぬ」と警告の声明を発表した。
内容:
むしろを敷いた部屋で、食事の仕度をする母親、食事を待つ2人の男の子と、かまの中で煮られている野草。
隠匿物資の調査で、倉庫の中の炭俵や米俵を調べる男。
校庭で、開かれた米よこせ小岩町民大会。
プラカードを掲げて、デモ行進する世田谷の婦人たち。
食糧人民管理を要求して、雨の中をデモ行進する武蔵野町民。
祐天寺境内で開かれた、目黒の米よこせ大会。
「元気で働けるだけ食わせろ」
とデモをする品川の労働者。
父兄と児童も一緒になって、学校給食要求の荏原のデモ。
5月14日、再び坂下門前に集まった世田谷区民113人。
代表30人を入れろ、入れないで押し問答する、宮内省職員と区民の代表。
協議の末、5人と決まり入門する共産党の岩田英一氏ら代表。
坂下門外につめかけた、区民と警備の衛士。
集まった区民を前に、メガホンで宮内省の回答や交渉の経過を報告する代表。
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