No.CFNH(G)-0002_6
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1946年(昭和21年) 01月24日公開
三丁目で炭焼き
焼け野原の東京では食糧をはじめすべてが不足し防空壕を改造した壕舎で暮らす人が多かったが、生活力も旺盛だった。
港区青山三丁目町会では、手製の炭焼き窯で、1日200貫の木炭を作って、1世帯2貫を配給して喜ばれた。
この頃、木炭の配給は4人~7人家族で、1か月僅か2分の1俵だった。
内容:
住宅街の焼け跡の炭焼き窯から木炭をとり出す町会の人たち。
出来上った炭の山をはかりにかけ配給する町会の人たち。
乳母車に乗せたり、背負ったり、リヤカーに乗せたりして運ぶ主婦たち。