食糧増産の苦闘も空しい 足尾鑛毒の害
明治24年ころ田中正造翁が直訴して争い続けられた足尾銅山鉱毒問題が再び注目された。
これは戦時中の資材・労働力不足から中和施設が不備となり、再び鉱毒が渡良瀬川に流れ込んだためで、下流の6,000ヘクタールあまりに被害が発生した。
昭和49年5月11日公害等調整委員会で補償が決まるまで争いは続いた。
内容:
再び鉱毒を下流に流した古河鉱業足尾鉱業所の全景。
堤防ぎりぎりまでに達した鉱さいと渡良瀬川。
鉱毒の流れこむ農業用水と鉱毒のため育たない麦畑。
群馬県山田郡毛里田村の被害を視察する北野県知県(4月27日)。
農民から作物を受け取り見つめる知事。